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清水さん・・・(泣) [ニュースより]

欽ちゃん絶句! 清水由貴子さん悲しすぎる介護人生
 
 オーディション番組「スター誕生!」出身で、「お元気ですか」のヒットで知られる元タレント、清水由貴子さん(49)が21日昼すぎ、静岡県小山町の冨士霊園の父親の墓前で硫化水素を吸い、自殺していたのが見つかった。
 傍らには車いすに乗った母親(80)がいたが、意識もあり、命に別条はないという。清水さんは母親の介護に疲れ、無理心中を図った可能性もある。往年の人気アイドルが選んだ最期はあまりに哀しいものだった。
 静岡県警御殿場署などによると、午後1時すぎ、「清水家之墓」の前で、黒いポリ袋を頭にかぶせ、横向きに倒れた状態で死亡している清水さんを霊園の職員が発見した。
 清水さんはコートにズボン姿。ポリ袋の中には、洗剤、入浴剤などを混ぜた液体入りの洗面器と、洗剤の容器数本が入っていた。
 袋からは硫化水素が検出され、「迷惑かけてすいません」「消防署に知らせてください」と大きな字で書かれた紙2枚も見つかった。遺書めいたノートも見つかり、「東京では葬儀をあげないでください」と書かれていた。
 遺体の傍らには、車いすに乗った清水さんの母親がぼう然としたまま雨に打たれていた。意識もあったが、職員との会話は終始、あいまいだったという。
 清水さんの死亡推定時刻は20日午後5時ごろ。母親は息絶えた娘をどうすることもできず、一昼夜をともに過ごしていたことになる。御殿場市内の病院に搬送され、現在も入院している。
 清水さんは自殺の前々日の18日夜に妹と食事をし、「お母さんとお墓参りに行ってくる」と報告。翌日午前、タクシーで静岡へ向かったという。洗面器は自宅から持参したものらしい。
 「最初から自殺する覚悟で、もしかすると母親と無理心中しようとしたが、優しい性格の清水さんには、できなかったのかもしれない」と芸能関係者。
 東京都出身の清水さんは8歳のころに父親と死別し、貧しい母子家庭で育った。生活保護を受け、高校も奨学金制度を受けて通学。歌手を志した動機を「お金をたくさんもらえるんじゃないかと思ったから」と話したこともある。
 高校在学中の1976年に「スター誕生!」で、ピンク・レディーを上回る人気で16回目のグランド・チャンピオンを獲得。77年に「お元気ですか」で華々しく歌手デビューし、同期の榊原郁恵(49)、元タレントの高田みづえさん(48)とともに「フレッシュ3人娘」として、一躍人気者となった。
 82年スタートの「週刊欽曜日」にレギュラー出演し、欽ちゃんファミリー入り。後に“肝っ玉母さん”のキャラクターでヤクルトのCMやドラマで親しまれた。
 実生活では、自身と8歳年下の妹を女手ひとつで育てた母のため、94年に東京・吉祥寺に約1億円のマイホームを購入。母親、妹と念願の3人暮らしを始めた。
 96年5月に出演したトーク番組「徹子の部屋」では、当時のことを「家のカギがカチャッと開いたとき、うれしかった。母が涙ぐんで…」と感慨深げに振り返っていた。
 だが、もともと病弱な母親は糖尿病と腎臓病を30年前から患い、ほとんど目が見えない状態に。2006年には母の介護に専念するため、所属事務所を辞めていた。07年秋には唯一のレギュラーとなっていた山梨の情報番組「ともちゃん家の5時」も降板し、芸能界を引退した。
 最近は派遣社員として、衣料会社のオペレーターで生計を立てていたという。生涯独身で、一家を大黒柱として支え続けていた。
 清水さんの突然の訃報に、欽ちゃんファミリーの大将、萩本欽一(67)はショックで絶句。妹分の死に、現在もコメントを出せる状態ではないという。

[ 2009年4月22日17時00分 ]
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私にとっては人事ではないのに。

母は、「こんな事(家族介護)誰でもやってるのに、甘えとるんやわ!」

母親に絶望を感じたのは言うまでもない。

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